《フィリピンと日本の歴史》コレヒドール島とは?キーマンはマッカーサー

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こんにちは。マニラブのなな(@nanadaylife)です!

 

みなさん、「コレヒドール島(Corregidor Island)」というワードを耳にしたことがありますか?

 

フィリピンと日本の関係を語る上で欠かすことの出来ない場所で、歴史の教科書でこの地名を聞いたことがある方もいらっしゃると思います。

 

第二次世界大戦中の1942年から1945年の約3年間、日本がフィリピンを占領し、コレヒドール島は米比軍vs日本軍の激戦地となりました。

 

なな

今回は、戦時中にコレヒドール島が辿った歴史と現存する名所をご紹介します。

 

※以前行われていたコレヒドール島半日ツアーは、現在終了しています。ツアーの開催につきましては、今後情報が入り次第更新いたします。

 

コレヒドール島とは?

コレヒドール島はマニラ港からフェリーで約1時間30分

 

マニラ湾の入り口に位置することから、スペイン統治時代より外国船の入国管理のための役所が置かれていました。

 

面積5km²ほどの小さな島で、おたまじゃくしのような形をしています。

 

スペイン語で「厳しく検査する」という意味である「コレヒドール」が島の名前となりました。

 

スペイン統治後、アメリカの植民地となったフィリピン。

 

第二次世界大戦期の1942年日本軍がマニラを占領し、軍政を開始。米比連合軍と日本軍で激しい戦いが繰り広げられました。

 

中でもコレヒドール島は激戦地となり、両軍に甚大な被害をもたらしました。

 

当時米比軍を指揮していたのはダグラス・マッカーサー元帥

 

連合国軍最高司令官として、戦後から現在に至るまで多大な影響を及ぼしている、あの「マッカーサー」です。

 

マッカーサーは日本軍の進撃に遭い、島を離れることになった際、「I shall return.(必ず戻ってくる)」の名言を残したことはあまりに有名です。

 

その記念像がコレヒドール島にあります。

 

その後マッカーサーはコレヒドール島に戻って島を再奪還し、有言実行を果たしました。

 

コレヒドール島の歴史

1942年から約3年間マニラを占領した日本軍。

 

コレヒドール島に現存する建造物や砲台跡などが、被害の大きさを物語っています。

 

1942年

1月 日本軍マニラ占領

3月 マッカーサーがコレヒドール島から脱出 ”I SHALL RETURN”

4月 バターン半島陥落、バターン死の行進

5月 コレヒドール島陥落

 

1944年

5月 マッカーサー日本軍政の最高責任者に

10月 マッカーサーがレイテ島に復帰

 

1945年

3月 実質的な日本のフィリピン支配終焉

8月 日本軍降伏

 

出典:

増田弘(2009)『マッカーサー:フィリピン統治から日本占領へ』中公新書

鈴木静夫(1997)『物語 フィリピンの歴史:「盗まれた楽園」と抵抗の500年』中公新書

 

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マリンタ・トンネル

米軍が司令部や、防空壕、野戦病院と使用していたトンネル。

 

日本軍占領後は日本司令部となり、このトンネル内で集団自決した日本兵もいます。

 

現在は戦時中の様子を再現した模型や映像設備が置かれており、目や耳で当時の出来事を知ることができる貴重な場所となっています。

 

太平洋戦争記念館

フィリピン軍、アメリカ軍の兵士を追悼することを目的に、アメリカ政府によって建てられた太平洋戦争記念館。

 

戦時中の兵士が使用していた食器や軍服、家族に宛てた手紙などが展示されており、当時の生々しい状況を見学することができます。

 

兵舎の廃墟

映画館が完備されていた兵舎は日本軍と米比軍の衝突による爆撃で廃墟と化し、このように現存しています。

 

島内には 映画館以外にもゴルフコースやテニスコート、プールなどの娯楽施設がアメリカ兵のために造られていました。

 

砲台跡

現在もコレヒドール島には当時使用されていた数多くの砲台跡が残されています。

 

30センチ口径の大砲は360度回転可能で、最大射程距離は1万4千メートルにも及びます。

 

慰霊碑と観音菩薩像

コレヒドール島だけでも6000人近い日本軍の兵士たちが犠牲となりました。

 

島内にはジャパニーズ・ガーデン・オブ・ピースと呼ばれる日本庭園があり、慰霊碑や観音菩薩像、戦没者の名前を刻んだプレートがあります。

 

観音菩薩像は、第二次世界大戦で亡くなったフィリピン、日本両国の戦没者の慰霊と両国の友好、世界平和の樹立を目的に建立されました。

 

 

いかがでしたでしょうか?

 

コレヒドール島での歴史的事実を知ることで、フィリピンと日本の関係がより深くわかります。

 

また、マッカーサーの経歴を紐解くことで、戦後から現在にも続く日本の歴史も窺い知ることができます。

 

なな

コレヒドール島で戦争の跡地や資料などを実際に目で見たり、当時の様子について耳で聞いたりすることで、歴史的事実を再認識し、日比関係や今生きていることのありがたみを改めて考える良い機会となりました。

 

まず、知ることから。

 

ぜひ一度足を運ばれることをおすすめします。


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